北島三郎さんの次男、大野誠さんが亡くなったという衝撃のニュースが報じられています。生前は作曲家として活動し、おじゃる丸のOPテーマなども手掛けてきました。
今回は大野誠さんの気になる詳細プロフィール・経歴や学歴・家族・死因まで一挙に紹介していきたいと思います!
目次
大野誠のWIKIプロフィール・経歴公開!
<プロフィール>
名前:大野誠(おおのまこと)
生年月日:1966年(推定)
年齢:51歳
職業:作曲家・作詞家など
所在地:東京都調布市
大野誠さんは北島三郎さんの次男で作曲家として活動していました。
生前は大地土子(だいちとこ)という名前で活動していたようで
過去にはおじゃる丸のオープニング曲も作詞・作曲しておられたようです。
こちらはおじゃる丸のOPテーマですが、
実はこの曲を歌っているのは北島三郎さんのようです。
そのためこの曲は親子で作り上げた曲になっているようですね。
おじゃる丸op 詠人フル
大野誠さんはロックバンドグループ「1st BLOOD」の
ボーカルとして1988年にデビューしたそうです。
ちなみにその時の名前は「MAKOTO」で、女性キーボード奏者含む
5人ロックバンドだったそうです。
上の写真の一番前に映っている方が大野誠さんです。
胸元を大きく開けて、ワイルドな雰囲気が漂っていますね。
シングルで発売した「American Dream」は
北島三郎の「年輪」とともにオリコンシングルチャートに
同時にチャートインし、オリコン史上初の
親子同時チャートインを記録したこともあったそうです。
親子でチャートインというのはあまり聞きませんので、
すごい親子ですよね。
やはりどちらもカリスマ性があるのでしょうね。
ちなみにこちらがその「American Dream」です。
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曲は尾崎豊風のボーカルで、
爽快なハードポップを展開しています。
尾崎豊さんが好きな方は一度聴いてみては
いかがでしょうか。
1st bloodはその後、2枚目のアルバムを発売した後
解散したそうです。
そのアルバムがこちらですが、「今、BEATが聴こえる」というアルバムのようです。
1st BLOOD『今、BEATが聴こえる。』MEG-CD
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解散後、大野誠さんは
「大地土子(だいちとこ)」という名前で
北島三郎の曲の作詞と作曲を手がけていったそうです。
大野誠さんは他にも様々な曲を手掛けていったそうですが、
中でもおじゃる丸の曲が多いようですね。
<大野誠さんの手がけた作品一覧>
・和田青児 全曲集~男の懺悔・おとこ星~(和田青児)
・和田青児 全曲集~おとこ星・仕事の宿~(和田青児)
・ニッポン道中いただきます(大江裕)
・路遥か(北山たけし、北島三郎 )
・北山たけし2016年全曲集(山たけし)
<おじゃる丸>
・詠人(北島三郎)
・プリン賛歌(sus4)
プリンでおじゃる(小西寛子)
・我らちっちゃいものクラブ(ちっちゃいものクラブ合唱団)
・おじゃる丸 / 約束の夏・おじゃるとせみら ― オリジナル・サウンドトラック
おじゃる丸については実はオープニング曲の他にも
いろいろな曲を作曲していたことがわかりますね。
大野誠の学歴は?出身校はどこ!?
作曲家として活動していた大野誠さんですが、
学生時代はどこの学校で学ばれてきたのでしょうか。
北島三郎さんの次男ということで
どこで学ばれてきたのか気になりますね。
そこで大野誠さんのこれまでの学歴について調べてみたのですが、
出身校などの情報は公開されていませんでした。
本人の情報がなかったのは残念ですが、
父親の北島三郎さんは東京声専音楽学校を卒業していますので、
もしかしたら同じ学校か、音楽関係に強い学校を卒業している可能性が高いと思われます。
若いころはオリコンにチャートインするくらいですから、
おそらく音楽関係の学校を卒業しているのではないかと言われています。
大野誠は結婚していたのか?結婚歴は?
大野誠さんの気になる結婚歴ですが、
亡くなった時は一人で自宅で亡くなっているのを発見されており、
死後1週間が経過していたようです。
このことからおそらく大野誠さんは独身だったのではないかと
言われています。
年齢が51歳ということでしたので、
もしかしたら以前は結婚していて、
離婚などを経験している可能性もあるという噂もあります。
情報がないのでなんとも言えませんが、
少なくとも亡くなった時は独身だったようです。
大野誠の家族はどんな方?兄弟は5人兄弟!?
大野誠さんは北島三郎さんの次男ですが、
実は、5人兄弟の次男坊だったそうです。
他の兄弟にはこちらの方たちがいます。
<大野誠さんの兄弟>
長男:龍(りゅう)
次男:誠(まこと)
長女:綾子(あやこ)
次女:智子(ともこ)
三女:領子(りょうこ)1974年10月17日(43歳)
ちなみに北島音楽事務所所属の歌手である
北山たけしさんは次女の智子さんと結婚しています。
(北山たけしさん)
また、三女の領子さんは『水町レイコ』という名前で活動している
女優さんのようです。
(水町レイコさん)
大野誠さんの死因は何だったのか?本当に病気だったのか?
自宅で孤独死してしまった大野誠さんですが、
死因は何だったのでしょうか。
あまりにも突然すぎる死ですし、
51歳でなくなるということは何か思い病気にかかっていたのではないかと
言われています。
最近では俳優の大杉連さんも突然死してしまい、芸能界の訃報のニュースが多いですよね。
大野誠さんは一体なぜ亡くなってしまったのでしょうか。
調べてみると、どうやら心不全ということが明らかになっています。
死因については北島三郎さんが記者会見を開いた際に
おっしゃられていることから間違いないと思われます。
こちらは北島三郎さんが記者会見を開いた時の
インタビューです。
<記者会見インタビュー>
―今の気持ちは―
「あの…。大事な、大好きな、かわいい自分の…。我が子が先に旅立ってしまったという。辛いですね。辛いです」―一報を聞いたのは?
「ウチの社長(長男で北島音楽事務所社長の大野竜さん)が説明してくれたとおり、彼が自宅にいた私に報告してくれました。彼から聞かされて…」―最後に会ったのは?
「今年の正月、去年ちょっと体調崩しまして、会社に出られなくて…。今年は会社の仕事始めということで元気な息子の、誠の姿を見まして、ホッとして。『体に気をつけて頑張ろうや』と言うことで、会って、声かけて。時々、家にも来たりするんですが…」―その時の誠さんの様子は?
「全然、変わった様子なくて。そういう姿は俺には全然、見せないので。息子同士で話し合って、俺には心配かけない。あんまりそういうことは言わないですよね。頑張り屋なんで」―一人暮らしで心配していた?
「私自身は息子を信用してました。信じてますし。嫁さんの方は心配して、大丈夫かなって、しょっちゅう電話していたね。優しいから、テレビ見て、今、こういう治療紹介しているから見なさいよって(誠さんから)いつも電話きた。嫁さんの所へね。僕も体調悪くて、頸椎(けいつい)やったりしたのを病院来てくれたり、心配してくれていましたね」―今回、死因が心不全―
「(体調悪化は)僕はそういうのは感じなかったね。俺に隠していたのかな。嫁さんにも何も言わなかった。昔から1人で自分の思いのままに何かやったりするのが好きな子でしたから。いつの間にやら楽器弾くようになって、音楽やるようになって、歌を歌うようになって。ある時から私にアドバイスしてくれるようになった。息子であって、私の良き相方でもあったかな」―一緒の仕事の思い出は?
「彼が作ってくれた歌を私が歌って。それで『いい乗りだよ』って言ってくれて。終わって、『今日、俺、乗ってかい?』『乗ってたよ』って言い合って…」―良き親子でしたね―
「世の親たちはみんな、私と同じだと思いますよ。息子に先立たれると、こんなに辛い…」―息子さんの様子は?
「本当に…。眠っているよう」―どんな言葉をかけた?
「いや、もう…。あまりに突然なんでね。こういうことしてみたいな、ああいうことしてみたいなと。彼は僕の歌をすごく、認めてくれる1人でした。親父はこういう歌をこういう風に歌ってくれればいいなと、期待みたいなものを、いつも持っていてくれた。息子でありながら、音楽のすごくいい仲間だった。彼の作った歌『おじゃる丸』もそうですけど、その他にも『友よ』とか、海をテーマにした歌もいっぱい作ってくれた。未発表のものもあるんですね。だから、あいつにいい恩返しをしてやりたい。世に出してあげたいなという気持ちですね」引用:http://www.hochi.co.jp/entertainment/20180307-OHT1T50241.html
<まとめ>
大野誠さんは51歳という若さで亡くなってしまいましたが、
あまりにも突然すぎる知らせで、北島三郎さんも
最初は信じられなかったようですね。
生前は北島三郎さんのために
最新の治療法などを北島三郎さんの奥さんに電話で伝えるなど
優しい方だったようです。
51歳と聞くとやはり若いという印象がありますが、
心不全などの病気は年齢を問わず、
いきなりやってくる病気だということがわかります。
北島三郎さんは今回の件で大きなショックを受けてしまったと思いますが、
息子さんの分まで長生きしてほしいですね。
今回は大野誠さんの突然すぎる訃報でしたがご冥福をお祈りいたします。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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